書く力

やらなくていいことをするぐらいなら寝ていた方がいいんだもの。

老子の道徳経を分かりやすく現代風に翻訳してみた【Part6】

目次

 

第二十六章 浮ついたらいけないよ

重さっていうの軽さの根本だし、静けさっていうのは騒がしい世界を支配するよ。

だから分かってるやつは、旅をしていて観光名所とかうまい食べ物やとかあっても浮ついたりしないで大切な荷物のそばから離れないよ。

もし王様がそんな軽々しい行いをすれば威厳ないしそんな奴には王様は任せておけないよね。

重きは軽きの根(こん)たり、静かなるは躁(さわ)がしきの君たり。ここを以(も)って君子は、終日行きて輜重(しちょう)を離れず。栄観(えいかん)ありといえども、燕処(えんしょ)して超然たり。いかんぞ万乗(ばんじょう)の主にして、身を以って天下より軽しとせんや。軽ければ則(すなわ)ち本(もと)を失い、躁がしければ則ち君を失(うしな)う。

第二十七章 一流の人間の共通点

逃げるのが上手なやつは足跡とか自分の形跡を残さない。

話すのが上手な人は誰かを傷つけるようなことは言わない。

計算が得意なやつは電卓とかは使わない。

ドアを閉めるのがうまい人はかんぬきとか使わずにドアを開けられないようにすることができる。

結ぶのがうまい人は縄なんか使わずにほどけないように結ぶことができる。

なんでも一流の人ってのはいつの間にか誰かを助けてるし、困っている人がいれば見捨てることはしないよ。

いつも、物事がうまいこと運ぶようにしているから途中でほったらかしにするようなことはしない。

これをTAOを知ること。「明」の知恵によって生きるってこと。

一流の人っているのはそうじゃない人の師匠だし、どんな三流以下の人間でもいつか一流になる素質のある人ってこと。

だから一流の人は尊敬した方がいいし、一流の人も二流、三流の人を馬鹿にしてはいけない。

どんなに素晴らしい才能を持っていても三流の人間を愛せないようだと人生は迷いの連続になるよ。

どんなダメ人間でもとりあえず愛してみるっていうのが人生のコツだね。

善く行くものは轍迹(てっせき)なし。善く言うものは瑕謫(かたく)なし。善く数うるものは籌索(ちゅうさく)を用いず。善く閉ずるものは関楗(かんけん)なくして、而(しか)も開くべからず。善く結ぶものは縄約(じょうやく)なくして、而も解くべからず。ここをもって聖人は、常に善く人を救う、故(ゆえ)に人を棄つることなし。常に善く物を救う、故に物を棄つることなし。これを明(めい)に襲(よ)ると謂(い)う。故に善人は不善人(ふぜんにん)の師、不善人は善人の資なり。その師を貴ばず、その資を愛せざれば、智ありと雖(いえど)も大いに迷う。これを要妙(ようみょう)と謂う。

第二十八章 のび太のフリした出木杉くんが最強

男らしい強さを持っていながら、女性のような柔らかい心を持っていると、この世界の人々を受け入れる谷になれるよ。

この世の谷になれれば周りの人達をみんな笑顔にできるようなアイドルになれるよ。

なんでもできる出木杉くんみたいな人であってものび太みたいな立場で生きていくならそれはもう、みんなのお手本になれるよ。

出木杉くんにもなれるしのび太にもなれる人は影でみんなを支えることができる人。

だから政治家みたいな偉い人を選ぶときはのび太のふりした出木杉くんを選べばいいよ。

その雄を知りて、その雌を守れば、天下の谿(けい)と為(な)る。天下の谿と為れば、常の徳は離れず、嬰児(えいじ)に復帰す。その白を知りて、その黒を守れば、天下の式(のり)と為る。天下の式と為れば、常の徳は忒(たが)わず、無極に復帰す。その栄を知りて、その辱を守れば、天下の谷と為る。天下の谷と為れば、常の徳は乃(すなわ)ち足りて、樸(ぼく)に復帰す。樸散(さん)ずれば則(すなわ)ち器となる。聖人はこれを用いて、則ち官の長となす。故(ゆえ)に大制(たいせい)は割(さ)かず。

第二十九章 大人しく生活しよ

一番になろうとしてどんなに作戦をたてても本当の一番にはなれないよ。

世の中っていうのは自分の考えてるとおりになるほど簡単なもんじゃない。

それでも一番になろうと頑張り続ける人はいつか壊れてしまうと思うよ。

世の中の人っていうのは色々な人がいる。足が早い人もいれば遅い人もいる。

怒りっぽい人もいればいつも落ち着いている人もいる。

だからTAOのことを分かっている人は調子に乗ったりしないで贅沢はやめて大人しく生活するもんだよ。

将(まさ)に天下を取らんと欲してこれを為(な)すは、吾れその得ざるを見るのみ。天下は神器、為すべからず、執(と)るべからず。為す者はこれを敗り、執る者はこれを失う。凡(およ)そ物、或(ある)いは行き或いは随(したが)い、或いは歔(きょ)し或いは吹(ふ)き、或いは強く或いは羸(よわ)く、或いは培い或いは隳(こぼ)つ。ここを以(も)って聖人は、甚(じん)を去り、奢(しゃ)を去り、泰(たい)を去る。

第三十章 自慢や強がりは無駄なこと

TAOを知っている人は暴力でものごとを解決しようとはしないよ。

暴力を使えばいつか暴力で返ってくることを知っているからね。

戦争を起こせば必ず大きな災いが起こるってことを知っている。

だから本当にできる人っていうのは目的に集中している。

目的が達成されたのにそれ以上の力があるよって自慢することはしない。

それに目的を達成したことも自慢したりしなし、やり遂げたことも別に自慢したりもしない。

強がったり自慢したりするっていうのは無駄なことだからね。

道を以(も)って人主(じんしゅ)を佐(たす)くる者は、兵を以って天下に強いず。その事は還るを好む。師の処(お)る所は、荊棘(けいきょく)焉(ここ)に生じ、大軍の後は、必ず凶年(きょうねん)あり。善くする者は果たして已(や)む。以って強いるを取らず。果たして矜(ほこ)ることなく、果たして伐(ほこ)ることなく、果たして驕(おご)ることなく、果たして已むを得ずとす。これを果たして強いるなしと謂(い)う。物は壮(さかん)なればすなわち老ゆ。これを不道と謂う。不道は早く已む。