書く力

やらなくていいことをするぐらいなら寝ていた方がいいんだもの。

老子の道徳経を分かりやすく現代風に翻訳してみた【Part5】

目次

 

第二十一章 全てはTAOから始まった

分かっているやつは自然の中のTAOに従って生きている。

TAOっていうのははっきりと言葉にできるようなもんじゃないんだけどしっかりとそこに存在している。

TAOは俺らが生まれるずっと前からそこにあって、全てはそこから始まった。

なんでそんなことが分かるかと言うとそれがまさにTAOの性質だからだよ。

孔徳(こうとく)の容(よう)は、ただ道にこれ従う。道の物たる、これ恍(こう)これ惚(こつ)。恍たり惚たり、その中に物有り。恍たり惚たり、その中に像有り。窈(よう)たり冥(めい)たり、その中に精有り。その精甚(はなは)だ真、その中に信有り。今より古えに及ぶまで、その名は去らず。以(も)って衆甫(しゅうほ)を閲(す)ぶ。吾れ何を以って衆甫の然(しか)るを知るや、これを以ってなり。

 

第二十二章 まっすぐより曲がった方がいい

選択肢って多ければ多いほど悩むよね。

だから分かっているやつはTAOだけを大事にして自分のことを良く見せようなんて思ってない。

良く見せようなんて思ってないから物事をはっきり見ることができるし、善悪の区別もしっかりつけられる。

林ってあんなに木がいっぱいあるのにどの枝もかぶったりしてないじゃん?

それって自分の枝だけまっすぐ伸ばそうとしてもどっかの枝とぶつかったりして結局、自分が損するって知ってるんだよね。

大昔の人が「曲がることで最後までやり遂げられる」って言ってたのは本当なんだよ。

曲がることを怖れずに生きれば天に戻ることができるよ。

曲(きょく)なれば即ち全(まった)し、枉(ま)がれば即ち直(なお)し、窪(くぼ)めば即ち盈(み)ち、敝(やぶ)るれば即ち新たなり。少なければ即ち得られ、多なれば即ち惑う。ここを以(も)って聖人は一(いつ)を抱きて、天下の式(のり)と為る。自ら見(あらわ)さず、故(ゆえ)に明らか、自ら是(よし)とせず、故に彰(あら)わる。自ら伐(ほこ)らず、故に功あり、自ら矜(ほこ)らず、故に長(ひさ)し。それ唯(た)だ争わず、故に天下も能(よ)くこれと争う莫(な)し。古(いにし)えの謂(い)わゆる曲なれば即ち全しとは、豈(あ)に虚言(きょげん)ならんや。誠(まこと)に全くしてこれを帰す。

第二十三章 まずは自分が信じることから

すっと喋ってる人って自然じゃないね。

だって雨だって嵐だっていつか収まるじゃん?

雨や嵐がいつかは止むのにたかが人間がずっと騒ぎ続けるなんて無理な話しだよ。

誰かに誠実に接する人間は相手からも誠実に対応されるし、誰かに優しくできる人間は自分も優しくされる。

だから他人を信用しない人間は自分も信用されないよ。

希言(きげん)は自然なり。故(ゆえ)に飄風(ひょうふう)は朝(あした)を終えず、驟雨(しゅうう)は日を終えず。孰(た)れかこれを為す者ぞ、天地なり。天地すら尚(な)お久しきこと能わず、而(しか)るを況(いわ)んや人に於(おい)てをや。故に道に従事する者は、道に同じくし、徳なる者は徳に同じくす、失なる者は失に同じくす。道に同じくする者は、道も亦(ま)たこれを得るを楽しみ、徳に同じくする者は、徳も亦たこれを得るを楽しみ、失に同じくする者は、失も亦たこれを得るを楽しむ。信足らざれば、焉(すなわ)ち信ぜられざること有り。

第二十四章 かっこつけるのは無駄なこと

背伸びしようとつま先立ちになってもずっと立っていることはできないよ。

焦って急ぎ足な人は遠くまでは行けないよ。

自分を見せびらかそうとする人は相手のことは全然、見えていないし

自分が絶対に正しいと思っている人は周りのことが全然、分かってない。

ナルシスト系の男は成功しないし、自分のことを偉いと思っている人はいつか落ちていく。

TAOの考えではそういう態度は全部、無駄だと言っている。

だからTAOのことを分かっている人はそういうことはしないもんだよ。

跂(つまだ)つ者は立たず、跨(また)ぐ者は行かず。自ら見(あら)わす者は明らかならず、自ら是(よし)とする者は彰(あら)われず。自ら伐(ほこ)る者は功なく、自ら矜(ほこ)る者は長(ひさ)しからず。その道に於(お)けるや、余食贅行(よしぜいこう)と曰(い)う。物或いはこれを悪(にく)む、故に有道の者は処(お)らず。

第二十五章 宇宙のお母さん

宇宙ができるときは全ての物が混ざってたり、絡んだりしていた。

それは静かで、形を持たない。

だけど、存在するために何かが必要なわけではなく、宇宙が広がっていく時にも衰えることはなかった。

つまり、宇宙のお母さんみたいな存在。

この宇宙のお母さんには名前がないので「道」と名付けました。

さらにあだ名をつけるなら大いなる存在なので「大」というあだ名にしました。

この「大」はどこまでも広がっていき広がりきったらまた戻ってきます。

人間は大地にそって存在し、大地は天によって存在する。

天は道に沿って存在し、道は自然そのものに沿って存在しています。

物有り混成し、天地に先んじて生ず。寂(せき)たり寞(ばく)たり、独立して改(かわ)らず、周行して殆(とど)まらず。以(も)って天下の母と為すべし。吾(わ)れその名を知らず、これに字(あざな)して道と曰(い)う。強(し)いてこれが名を為して大と曰う。大なれば曰(ここ)に逝(ゆ)く、逝けば曰に遠く、遠ければ曰に反(かえ)る。故に道は大、天も大、地も大、王もまた大なり。域中(いきちゅう)に四大(しだい)あり、而(しか)して王はその一に居る。人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。

 

広告を非表示にする