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書く力

地方在住の29歳。独身。四柱推命で川端康成、芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫と同じ星を持つというだけでブログを始めました。

【嫌われる勇気】第三夜 他者の課題を切り捨てる

嫌わる勇気

第三夜 他者の課題を切り捨てるをまとめました。

 承認欲求を否定する

アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定します 

 

 

「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない

アドラーは賞罰による教育を厳しく批判しました。「ほめてくれる人がいなければ、適切な行動はしない」「罰する人がいなければ、不適切な行動もとる」という、誤ったライフスタイルだから。

・われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではないのです」そもそも他者の期待など、満たす必要はないのです

・他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります

・大切なのは、もしもあなたが「他者の期待を満たすために生きているのではない」のであれば他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」ということ。

・だからといって傍若無人に振る舞うのではない。アドラー心理学における「課題の分離」という考え方を知る必要があります。

 

 

「課題の分離」とはなにか

・例えば目の前に「勉強する」という課題があったときアドラー心理学では「これは誰の課題なのか?」という観点から考えを進めていきます。

・勉強するという課題は本来、子どもの課題であって親の課題ではない。そこに対して親が「勉強しないさい」と命じるのは他者の課題に土足で踏み込むような行為。これでは衝突は避けられない。

・われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。

・分離した他者の課題には踏み込まない。

・あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと。あるいは自分の課題に土足で踏み込まれることによって引き起こされます。

・誰に課題かを見分ける方法はシンプルです。「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考えてください。

アドラー心理学は、放任主義を推奨するものではありません。放任とは、子どもがなにをしているかしらない、知ろうともしない、という態度です。そうではなく、子どもがなにをしているか知った上で、見守ること。勉強についていえば、それが本人の課題であることを伝え、もしも勉強したいと思ったときにはいつでも援助する用意があることを伝えておく。けれども、子どもの課題に土足で踏み込むことはしない。頼まれもしないのに、あれこれ口を出してはいけないのです。

・自分を変えることができるのは、自分しかいません。

 

 

他者の課題を切り捨てよ

・信じるという行為も課題の分離である。相手のことを信じること。これはあなたの課題です。しかしあなたの期待や信頼に対して相手がどう動くかは、他者の課題なのです。そこの線引きをしないままに自分の希望を押し付けると、たちまちストーカ的な「介入」になってしまいます。

 

対人関係の悩みを一気に解消する方法

・自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」それだけです。

・その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話しです。

・他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入さあせない。これは具体的で、なおかつ対人関係の悩みを一変させる可能性を秘めた、アドラー心理学ならではの画期的な視点になります。

 

「ゴルディアスの結び目」を断て

・課題の分離は、対人関係の最終目標ではありません。むしろ入り口なのです。・良好な人間関係を結ぶには、ある程度の距離が必要です。親子の場合、差し伸べれば手が届く、けれど相手の領域には踏み込まない、そんな適度な距離を保つことが重要なのです。

 

 

承認欲求は不自由を強いる

・自分の道を自分で決めようとすれば、当然迷いはでてきます。「いかに生きるべきか」という壁に直面するわけです。

・誰からも嫌われないためにはどうすればいいか?答えはひとつしかありません。常に他者の顔色を窺いながら、あらゆる他者に忠誠を誓うことです。もしも周りに10人の他者がいたなら、その10全員に忠誠を誓う。そうしておけば、当座のところは誰からも嫌われずにすみます。

・他者の期待を満たすように生きること、そして自分の人生を他人任せにすること。これは、自分に嘘をつき、周囲の人々に対しても嘘をつき続ける生き方なのです。

 

ほんとうの自由とはなにか

・他者から嫌われたくないと思うこと。それは人間にとって、きわめて自然な欲望であり、衝動です。カントはこうした欲望のことを「傾向性」と呼びました。

・欲望や衝動のおもむくまま生きること、坂道を転がる石のように生きることが「自由」なのかというと、それは違います。そんな生き方は欲望や衝動の奴隷でしかない。ほんとうの自由とは、転がる自分を下から押し上げていくような態度なのです。

・「自由とは他者から嫌われることである」

・自由を行使したければ、そこにはコストが伴います。そして対人関係における自由のコストとは、他者から嫌われることです。

・他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、自分の生き方を貫くことはできない。

 

対人関係のカードは「わたし」が握っている

・多くの人は、対人関係のカードは他者が握っていると思っています。だからこそ「あの人は自分のことをどう思っているんだろう?」と気になるし、他者の希望を満たすような生き方をしてしまう。でも課題の分離が理解できれば、すべてのカードは自分が握っていることに気がつくでしょう。

・対人関係のカードは常に「わたし」が握っていたのです。

・対人関係というと、どうしても「ふたりの関係」 や「大勢との関係」をイメージしてしまいますが、まずは自分なのです。